第13回 "偉い人ほどFriendly"


アメリカ横須賀海軍で研修していた時の話しです。大きな基地で、こんな大きな施設を責任持っている司令官は一体、どこにいるのだろう。さぞかし、地下のセキュリティの高い厳重な防御壁の内にいて、普通ではまず、会えない存在なのだろうなと想像していました。ところが衛生兵に聞くと、"司令官ですか?夕方、PX(海軍のスーパーマーケット)に行ってごらんなさい。だいたいいつもショッピングカート押していて夕食の材料買ってます。声かけるとHi って手を振ってくれますから。"
アメリカの文化の一つに、偉い地位にある人間が威張るのはみっともない、という感覚があります。ちょっとえらくなると、すぐに威張るような状態をCockyと言います。

例: You cocky bustard. Quit acting like you’re the man.

アメリカでは偉い人ほどFriendlyに振舞います。皆さんがアメリカの大統領に個人的にお会いする機会があれば、極めて率直、親しみやすく、親切なのに驚くでしょう。Cockyだと思われるような人間は過酷なアメリカの大統領選を勝ち抜けません。現職のトランプさんも、その前のオバマさんも皆、この点では変わりません。
そもそも、大統領の住んでいるWhite Houseからしてアメリカ的です。テロとか危ないから、一般道から遠く離れてWhite Houseが建てられているものと考えておりましたが、実際に行ってみると、声をかけると、White Houseのベランダに座っている人と会話ができる距離です。では、そこに警備の警察官がいて特殊部隊みたいなのが護衛しているのでしょうと思ったら、全然違います。おまわりさんは確かに立っているのですが、にこやかで親切、主な仕事は、やって来る観光客と一緒に写真撮影で映ることと、道案内です。ここにアメリカが目指している民主主義の形が現れています。

偉い人で思い出しましたがマケイン上院議員亡くなるのニュースが全世界を駆け巡りました。このマケインさんほど、強烈な反骨精神の持ち主はいないでしょう。
よい家庭の出身です。お祖父さんもお父さんも、海軍提督、自身もアナポリス海軍兵学校へ行きました。ところが、無茶な上級生や上官に反発し、不従順の烙印を押され、兵学校をほとんどビリで卒業。ここら辺から、面白い人だと言う事が明確になって来ます。ベトナム戦争の時はパイロットで撃ち落とされ、北ベトナムで捕虜となりました。北ベトナムは重傷のマケインを治療せず、放置していましたが、やがて父親がアメリカ海軍のベトナム戦争の最高責任者であると分かり、捕虜交換で釈放しようとします。ところが、マケインは"それは筋が違う。FIRST IN, FIRST OUTだ" 先に捕虜になったものから釈放されるべきと主張し、釈放を拒否。自分より長く捕虜になっている戦友を自分のかわりに釈放するように要求。この時点ではベトナム戦争は終結の糸口がまるで見えず、一生捕虜収容所で過ごす覚悟でマケインは主張したのです。
また、反アメリカの宣伝に加担するようベトナム軍に要求されたのを拒否、繰返し拷問をうけたが、頑として動じませんでした。その結果、右手に麻痺が残ってしまいました。かなりの根性の持ち主だと言うことがお分かりになるでしょう。アメリカの白人の中に時々いるタイプです。

捕虜釈放後、政治家になり、自分を拷問したベトナムとアメリカの国交回復に努力しています。また、ブッシュ大統領の元でテロ容疑者への拷問がなされた時にまっさきに反対し、アメリカだけはそんなことをしてはいけないと主張。日本にもこのぐらい根性のある政治家が欲しいものです。マケインさんほどでもアメリカで大統領になれませんでした。アメリカの政治家の層はあつい。

ジャナメフ【2018年9月14日】


著者プロフィール
小林 恵一(こばやし・けいいち)
1980東京大学文学部西洋史学科卒業、1988年神戸大学医学部卒業。1990年~1993年南カリフォルニア大学ハンティントン記念病院内科レジデント、ハワイ大学内科レジデント。東京八王子東京天使病院内科部長、御代田中央記念病院副院長を経て、1997年米国ハワイ州ホノルルにて開業。2014年より財団評議員。