JANAMEFメルマガ(No.50)

日本での家庭医療実践を目指して、少し風変わりな開業医の近況報告

医療法人社団絆会 オアシス愛生クリニック
院長 伊藤彰洋


皆さま、こんにちは。私が渡米して20年以上が過ぎてしまいました。2002年に山梨大学医学部を卒業し、当時としては珍しく、今でも珍しいかもしれませんが、卒業と同時に南イリノイ大学家庭医療学科にてレジデント研修を開始しました。学生の頃から夢であった米国臨床留学に向けて、在学中に人生ではもうないだろうというくらい勉強したことを懐かしく思います。マッチングに漏れ、日本で初期研修をしようかと思っていた矢先に南イリノイ大学のプログラムディレクターからポジションが空いているので、「ぜひ、うちに来ませんか」と夢のようなお誘いを頂き、私のキャリアがスタートしました。その際に日米医学医療交流財団にお世話になりました。イリノイ州の州都スプリングフィールドにある全米トップ20以内にランクされていたプログラムでしたが、日本人初のレジデント採用という大きな賭けに、私なりに期待に応えられるように頑張った3年間でした。南イリノイ大学では5名以上の日本人レジデントの採用に至りました。その後、イリノイ大学ピオリア校の老年医学フェローシップに進み、米国人の最愛の妻との出会い、2006年に日本へ帰国しました。

2011年に埼玉県和光市に開業するまで、甲府共立病院や亀田ファミリークリニック館山をはじめ、様々な病院や大学に声をかけて頂き、家庭医療や臨床診断推論を研修医や学生に教える機会を得てきました。臨床教育を実践する中で医療経営にも興味が湧き、たまたまご縁のあった和光市でサービス付高齢者向け住宅の1階に小さなクリニックを開業し、在宅医療を中心に始めました。米国家庭医の強みはあらゆる分野のプライマリケアに精通していることですので、地域のニーズに合わせて診療科を広げてゆくことにしました。最初は内科を中心に、皮膚科や心療内科、整形外科、小児科、婦人科、耳鼻科など幅広く対応することが出来ました。10年以上の歳月の中で地域でのニーズに変化があり、それに合わせて診療スタイルも変えています。

近年ではコロナ後遺症外来を始めたことも大きな挑戦でした。埼玉県全体で登録医療機関があまりに少なく困っていると聞き、家庭医として診察するのは当然という思いで手をあげました。近隣の大規模病院からも紹介を受けるくらい多くの後遺症で苦しんでいる患者さんたちが来院されました。様々な病院で検査をされ、原因不明だと言われ、来院される方が多くいました。特別な治療をするわけでもなく、基本に立ち返り、対処療法を丁寧に行っていくことで多くの改善が見られ、患者さんたちに大変感謝されました。20年以上たった今でも米国で学んだ基本的なプライマリケアの診断・治療がこの地域で十分になされていない現実を目の当たりにしました。

10年毎に更新が必要な米国専門医試験(Family Medicine, Geriatrics)を1日中パソコンに向かい解き続ける体力がいつまでもつのだろうか、最低限の知識の担保として必要だろう、と思いながら数年前に無事に2回目の更新を終えてホッとしています。

たまに見学に来る研修医や学生さん達と話をしていると、私の知識や経験がまたまだ役に立ちそうだなという感触があります。一方、オンラインで定期的にジャーナルクラブを開催し、一緒に原著を読み、議論していると彼らからたくさんのことを教えてもらうことが増えたなあという思いもあります。

医師として20年以上が経過しましたが、第2、第3のキャリアとまではいいませんが、人の役に立ちたいという思いで始まった医師業ですが、別の形でもキャリアを積んできました。学生時代にクリスチャンとなり、帰国後に私が洗礼を受けた教会の牧師を拝命しました。そのため毎週日曜日は牧師業に励んでいます。また、地域の患者さんも私の噂を聞きつけ、徐々にクリスチャンの患者さんが増えています。診察室は時に慰めと祈りの場へと変化します。また、日本の子どもたちの教育を少しでも良いものにしたいという思いから我が家の子どもたちが通う小中高一貫の学校法人シュタイナー学園理事長を拝命し、学校運営のお手伝いもしています。日本での生活が長くなってきていますが、円安もあって米国から毎年たくさんの友人が来訪し、私自身も米国へ出張や帰省する機会が多いです。そんな中、様々な角度から米国医療の変化を眺めてきました。これからも日本で家庭医療の実践をしつつ、自分の経験を通じて若い世代の方々のお役に立てればと思います。

 


執筆:
医療法人社団絆会 オアシス愛生クリニック
院長 伊藤彰洋