JANAMEFメルマガ(No.44)

No Borders, Only Frontiers - 米国臨床教育の現場から

森川 雅浩
Masahiro J Morikawa, MD, MPH, FAAFP, SFHM
B. Lewis Barnett, Jr., Professor of Family Medicine
School of Medicine
University of Virginia
Medical Director
PCC Family Medicine & Inpatient Service
UVA Medical Center
1221 Lee Street PO Box 800729
Charlottesville, VA 22908
mm7jc@virginia.edu
mjmkobe@gmail.com


1. 米国における臨床研修の醍醐味

米国で臨床研修をする意義とは何か。様々な動機があるなか、私が思うのは、米国臨床教育の最大の特徴である、実践的知識・知識にフォーカスした臨床教育にかける意欲と技術です。米国の医師は、日本のような医局システムがないため、研修期間の終了と共に誰もが全く一人立ちする、つまり“独立した医師”になるしかない医療構造にあります。“独立した医師”(independent thinker)とは、知識と技術のみならず、考え方、問題解決能力を研修期間に鍛え上げられた医師と言えます。学ぶ側、教える側両方の責任感と自負からくる真剣さにより、教育を優先する臨床教育環境があり、臨床教育がうまくない指導医は生き残れないくらいです。

 

2. 地続きのプライマリーケアと国際保健

現在の先進国での診療科制度では、どこで患者を見るか(救急、外来、入院)、あるいは臓器別(心臓、腎臓、神経、消化器など)により専門性を区別します。でもまだまだ世界の大半以上の病院や診療所で医療従事者に求められている能力は、飛び込んできた患者さんを外科や内科に関わらず、また救急や慢性病にも関係なく人生の全ての段階(小児、成人、老年)の患者さんを診る総合医です。
私は医学生の時、タイのカンボジア難民キャンプやエチオピアでの飢餓避難民の緊急医療支援に参加する機会があり、以後、リソースの限られた場所で老若男女、頭のてっぺんから足の先まで診れ、ボコボコバキバキが来ても決してビビらない医師になることを決意しました。もしアジア、アフリカ、中南米の農村に生まれた場合、21世紀の今も、正真正銘の医師に診療してもらうのは、一生に一回あるかないかが現実です。医師不足は、世界中で今だに深刻な課題です。
世界人口の大半が住むいわゆる低中所得国 の農村部に点在するヘルスセンターには医師、正看護師もおらず、准看護師か即成訓練を受けたヘルスワーカーがプライマリーケアを担っています。こういった国々では入院や救急疾患となると電気や水の供給も怪しいdistrict hospitals [1]にかかることになります。そこでは決定的に足りない 医者は診療ではなく病院運営に従事し、看護師・助産師はいるものの、原則としてクリニカルオフィサー(clinical officer [2])が緊急開腹手術、帝王切開からエイズ、結核の診断、新生児・小児肺炎、髄膜炎の診断治療までひとりで行い、さらには急増する慢性疾患(NCDs: non-communicable diseases)への対応も強いられています。正常分娩はほぼ全部が助産師、看護婦の仕事で医師やclinical officerが関わるのは緊急の帝王切開のみです。臨床医の能力を嘲笑うような臨床の修羅場で、外科、内科の区別も曖昧な、なんでもありの患者が病棟にも外来にも溢れかえっています。外来の患者さんを毎日100人以上診察し、入院なら50人以上を一人で回診している、そんなところでいかに医療従事者を指導するか。彼らの興味を惹きつけるか。この課題は実は、multitaskingと素早い対応を強いられる米国の臨床の場で研修医を教育するのと全くよく似ています。辺境のdistrict hospitalで診療に従事する医療者たちには、医局や先輩といった彼らの教育に直接つながるリソースは存在しません。慢性的医療従事者不足、低賃金、政情や経済不安の中で医療に従事し自分で勉強し、自分で日々向上していくためには独立したindependent thinker 医療人になることが不可欠です。

私が四半世紀を過ごしたクリーブランドでは国際保健に興味のある研修医との病棟回診では必ずアフリカ、アジアのdistrict hospitalsではどの薬を使い、検査や画像診断もないところで一体どの臨床サインが役に立つかを議論しながら診療しました。また医学部の1、2年生には週一回の選択科目として国際保健病棟回診を提供し、その時病棟にいる患者さんを回診しながら、同じ病気がアフリカやアジアの病院ではどのように治療されているか、米国の外ではいったい何がその病気の背景にあるのか、といった議論をしてきました。
プライマリーケアと国際保健との関係で興味深いのは、ここ10年くらいの間に医学部教育にも定着したSocial determinants of health(SDH)の概念も、国際保健の現場からの洞察から生まれてきたという点です。世界の多くの人々が、米国や日本の医療現場では想像もできないようなスケールで存在する不条理、不公平、汚職、差別の中で暮らしている現実があります。それは患者さんたちだけではなく、医療従事者も同じです。内戦下の極寒アフガニスタン北部で、早朝の回診開始前、日常の厳しさに泣きじゃくっていた医師が涙を拭いて回診に参加してきたことが何度もありました。また都会から全く離れた過疎地の診療には貨物用のコンテナを改造した診療所を造りましたが、そこで働く医療従事者との毎朝のmorning reportは、いつも雪の積もったコンテナ前の空き地でした。このようななかでも学ぼうとする臨床家たちの情熱は、今も私の血を熱くするものがあります。私が現在の職場でも病棟教育回診のsign-in/outを例外なしに毎朝6時にしている理由は、このように過酷で何もかも不足するなか、真剣に学びたい医療従事者がたくさんいるのを知ったために、眠い、コーヒーやドーナツが無いとエンジンがかからない、という姿勢は受け入れ難いと思う結果です。

私が国際保健活動に関わる医師を育てようと思ったのも、混沌とした国際保健の現場でも、一人で10人分の力が発揮できるような総合医を育てることが目標でした。内科、基本外科の臨床技術はさることながら、栄養、保健衛生、小児と新生児の初期医療が必須で、これらを学ぶには、米国ではfamily medicineがもっとも近いと思います。私の経験では、米国を含めた世界の医療の現状を考える時、最も足りず、最も求められているのはprimary care physician、つまり 何でも診れる総合医ですが、総合医不足以上に恐るべきは、臨床の現場で総合医を鍛える臨床教育者の圧倒的な不足です。

 

3. 国際保健を意識した病棟教育回診

国際保健活動で力を発揮できる医師を育てるには、ホスピタリストを育てる病棟教育回診が最適と私は考えています。私の病棟教育回診(teaching rounds)チームは、米国の医学生、米国外の医学部卒業生、米国人研修医、外国人研修医と人種も文化背景も全く違う混成部隊です。ゴールを明確に決め、議論している問題点を常に皆で確認し合いながら医療に取り組むことが鍵となります。

米国で臨床研修が始まる7月1日、早朝に病棟チームと対面すると、彼らのバックグラウンドの多種多様なこと。人種、習慣、宗教も違えば価値観もかなり異なるメンバーの集まりです。私はチームーリーダーとして個人個人の違いではなく、ゴールを設定し常にみんながそれに向けて励めるような環境づくりに努めています。1日に何回も患者の治療方針と進展状況を細かく打ち合わせ、何事につけ、想像するのではなく何度も確認することが基本です。失敗したり困難な状況の場合は、即座のフィードバックから学びすぐに改善していく柔軟性がなくてはなかなか上達しないということを感じます。

米国のホスピタリストは、入院患者を病棟で入院から退院まで診る総合臨床医のことです。有効な治療を施し、いかに短期間で退院させられるか、そしてプライマリーケア医に効率よく引き継げるかが、米国のホスピタリストに課せられた役割です。入院日数が平均4日以下の一般病棟では、ひとつの症例の議論にベッドサイドで研修医たちと悠長な議論はやる時間もありません。それで、各症例に対するエッセンスを伝えるために、私はhandbook [3]を作りそれを使い研修医、医学生を指導しています。というのもOn-lineやAppでその場で調べたことは一瞬わかったような気になりますが、なかなか記憶の中に残りにくく、言語で言えば文法に当たるような臨床現場でのessential knowledgeは何度もhandbookを参照して覚えるまで見て欲しいからです。
米国でFamily medicineの卒業生からhospitalistになる医師が順調に増えているのは良い傾向だと個人的には思います。将来どこかの街に落ち着き、外来診療を開業するにせよ、入院患者と急性期の医療を研修し実践するのは貴重な経験です。患者さんを理解すると言うことは、病気を医療施設の中で診ると言うことには限られず、医療、病気が社会の色々な因子によって規定されていること(まさにsocial determinants of healthの概念)の理解なしにはできません。多様性を前提とする米国社会(おそらく将来の日本)でそういう総合医を育てること、国際保健の厳しい場で実践的な臨床教育をすることは、独立した医療人をそだてている点で全く同じだと確信しています。

皆さんの中から総合診療医であれ家庭医であれ十分な臨床経験を積み、しかも臨床教育に情熱を燃やし、世界のどこの現場でもプラリーケア、総合医育成の底上げに関わる人が出てくるのを心から期待しています。これからも外来、病棟の両方が学べる研修ができるように工夫を重ね、そして国境を超えてどこでも通用するような総合医の育成に尽力していくつもりです。このような臨床研修へ関心のある方はどうぞご連絡をください。

 

4. それで一体私はナニモンか

私は1987年に東京医大を卒業、日本医科大学救命救急センターを経て学生時代から関わってきた国際保健の道に本格的に進むため、1991年に外務省外郭団体の奨学金でJohns Hopkins University School of Public HealthにてMaster of Public Healthを取得しました。その当時のクラスメートに世界の僻地でも役に立てる医者になるにはどういう臨床研修をすべきかを聞き回ったところ、数人が口を揃えfamily medicineを勧めました。1994年にCase Western Reserve UniversityのFamily Medicine Residencyにマッチし、そこでレジデント、フェローシップを終えると、国際保健を立ち上げてくれとfaculty positionをofferされ、20年間DirectorとしてDept. of Family MedicineでGlobal Health Trackを運営し、研修医と大学院生に国際保健を教えました。家庭医が好まない大学病院での急性期の重症患者を管理する病棟担当をホイホイと引き受け、気がつくと20年に渡りacademic hospitalistとしてベッドサイドで研修医、医学生の教育に携わってきました。2019年に現在のUniversity of Virginia Dept. of Family Medicineに移り、外来、病棟両方のMedical Directorとして臨床と教育を続けています。今回は、研修医を採用する側、そして彼らを日々鍛える側から見た米国の臨床研修について私見を述べさせていただきました。

 

[1] District hospitals の現状:例えば、 Rajbhandari R, McMahon, DE, Rhatigan JJ. The neglected hospital – district hospital’s central role in global health care delivery. N Engl J Med 2020;382:397-400 を参照。

[2] Clinical officer とは大量の医師のいわゆる頭脳流出Brain drain と決定的に足りない医療従事者を確保するためSub-Saharan Africa 諸国が編み出した苦肉の策。国によって異なるが、高卒者を2~3年の基礎的臨床医学トレーニングの後このような病院に配置するシステム。国により資格、診療許可内容も違い、まず頭脳流出を食い止め、国内での労働力の確保につながるという目論見。

[3] MJ Morikawa. MORI’s Inpatient Medicine Handbook (11th Ed) 2004 STEP Global, LLC Charlottesville VA

 


執筆:森川 雅浩
Masahiro J Morikawa, MD, MPH, FAAFP, SFHM
B. Lewis Barnett, Jr., Professor of Family Medicine
School of Medicine
University of Virginia
Medical Director
PCC Family Medicine & Inpatient Service
UVA Medical Center
1221 Lee Street PO Box 800729
Charlottesville, VA 22908
[mm7jc@virginia.edu](mailto:mm7jc@virginia.edu)
[mjmkobe@gmail.com](mailto:mjmkobe@gmail.com)