JANAMEFメルマガ(No.12)

「留学してわかったこと」

山下雅知
帝京大学ちば総合医療センター ERセンター長


みなさん今日は、広報委員の山下です。私はJANAMEFの5期生として、今から30年ほど前に助成を受けました。米国留学に至るまでの私の道のりが、留学を目指す若いみなさんの何か参考になればと思い、筆を執らせていただきました。

私は1982年に医学部を卒業し、活動を始めたばかりの救急部に入局しました。当時の救急医療を取り巻く状況は、現在とは雲泥の差がありました。今では、学生時代にACLSを受講している人もいるでしょうが、1980年代初頭は医師でも心肺蘇生を行える人は少数でした。設備面では、今では個人病院にもりっぱな人工呼吸器が備わっていますが、当時はまだ呼吸器そのものが貴重でした。しかし、救急部を覗いてみると、コンピューター制御の呼吸器が並び、Swan-Ganzカテーテルや脳圧測定により、最先端の医療を行おうという熱気に溢れていました。

初期研修終了後はサブ・スペシャリティーとして外科を選び、沖縄に飛び立ちました。沖縄は県立中部病院を中心に米国式の医療が展開されていた地域で、その卒業生たちが設立した敬愛会中頭病院で外科のトレーニングを受けました。中頭病院では年間300例以上の手術をこなし、空き時間には青空の下で水泳やテニスを満喫することもできました。外科のトレーニングが進むうち、救急医学が独立した一分野として確立していないのではないか、という感じを持つようになりました。専門医の認定も始まりましたが、当時の学会は救急医療に興味を持つ各科の医師の集まりで、専門医として一定の質を保証するというものではありませんでした。

外科研修後に東大に戻ったところ、ちょうど昭和天皇が悪性腫瘍で御入院されました。救急部は術後管理に参加し、日本で開発されたばかりのパルス・オキシメーターなどを宮内庁病院にお貸ししましたところ、天皇陛下から御神酒やお手紙をいただき感激しました。陛下崩御後に、たまたまフランス政府給費留学生としてパリに留学する機会を得ましたので、海外の状況を見てやろうと思って渡仏しました。

フランスは、アルジェリア戦争の際に軍医が兵士を最前線で治療した経験を基に、1950年代から全土に公的救急医療組織であるSAMUを展開していった国で、ドクター・カーにより事故現場で処置を開始していくSMURと呼ばれるシステムも有効的に運用されていました。一方ドイツは山間部が多いため、1970年代からドクター・ヘリが活用されていました。しかし、いずれの国においても救急医療は主に病院前医療として捉えられており、病院内で活躍する救急専門医は存在しませんでした。ヨーロッパ大陸においても救急医学という学問領域は確立しておらず、救急科は果たして成立しうるのかと、パリの下町のアパルトマンで深く悩みました。一つの方向性は外傷外科かと思いましたが、フランスから東大に戻っても、胸腹部の手術は2か月に1回ぐらいしかありませんでした。アメリカはどうなっているのかと思い、今度は日米医学医療交流財団よりメリーランド州のShock Trauma Centerに留学しました。

州都のボルティモアにはJohns Hopkins大学もありますので知り合いが多く、楽しい留学生活を送ることができました。オリオールズの本拠地で、メジャー・リーグの試合もたくさん観戦しました。Shock Trauma Center は米国でも最も有名な外傷センターの一つで、大統領が狙撃されたらここに運ばれるだろうと言われていましたが、実はここでも銃創や交通事故は減り始めており、外傷外科医の育成は難しくなっていました。しかし、同時に見た大学病院の救急外来(ER)における診療は括目に値しました。御存知のように、北米ではERを受診する症例は、小児から成人まで、軽症から重症まで、全て救急専門医が診察します。米国では当時すでに救急科が基幹診療科の一つになっており、専門医には多彩で豊富な救急疾患の経験が保証されていました。同時にACLS・ATLS・PALSなどの教育コースを体験して、これなら救急医学が成立するという自信を取り戻しました。

帰国後は、帝京大学ちば総合医療センターに赴任してER型救急医療を導入し、アメリカ式の救急医学教育により多数の研修医を指導してきました。ちょうど日本でも新しい臨床研修制度が始まってcommon diseaseを中心とした多様な救急疾患の経験が必須となり、救急医学会のER検討委員として、ER型救急医療を普及させてきました。

さて、今回のコロナ対応では、世界各国の医療体制の相違点や、それぞれの長所・短所が浮き彫りになりました。ご存じのように、日本は病床・病院が多く人口当たりのCTの配備数も世界一です。都市部には多数の病院がひしめき合っていますが、その7割は200床未満で医師が広く薄く分散しています。平均在院日数は、他のG7諸国の2倍以上です。日本の医師は、自分の専門領域の疾患の知識や画像診断能力は高いのですが、一方で臓器別の専門性にこだわり、専門ではないからという理由で患者の診察を断りがちです(たらい回しの最も多い言い訳がこれです)。

日本におけるコロナ患者の診療状況を鑑みますと、横断的に診療する能力を持つ医師(総合診療医・病院総合医・ER型救急医などの総合系医師)が活躍する病院やクリニックでは、コロナ感染症やその疑いの患者を積極的に診察してきましたが、熱があるというだけで診察を断る医療機関も数多くありました。また、わが国の人口当たりの医師数はほぼ米国に並びましたが、米国と比較して、コロナ患者が入院できる病床をなかなか増やすことができませんでした。その主な原因は、上記のように医療人材が分散していて、小さな病院ほどコロナ患者用の病床を造設できないという構造的な脆さをもっていることと、入院患者を受け持てる総合系医師の割合が少ないことだと思います。

歴史が教えてくれるように、COVID-19終息後もパンデミックは必ず繰り返し起こりますし、これからは気候変動に伴う災害もますます増加するでしょう。これらの要因によって引き起こされるであろう医療危機に対する方策としては、病床面では急性期病院を絞り込んで医療資源を集中させること、人材面では総合系医師を増やしていくことが、最も効果的な医療政策であると考えます。総合系医師は全身の臓器をくまなく診ることができるので、平時においても複数の臓器に障害を持つ高齢者などの診療に長けており、無駄な検査などを省いて在院日数を減らすことも期待できます。

 


執筆:山下雅知
帝京大学ちば総合医療センター ERセンター長
公益財団法人日米医学医療交流財団 理事/広報委員

 

発行:公益財団法人日米医学医療交流財団【2021年12月28日】