JANAMEFメルマガ(No.34)

留学を志す後輩たちへ

志水太郎
獨協医科大学総合診療医学


はじめに

本稿の提出にあたり、日頃よりお世話になっている高瀬義昌先生(JANAMEF理事)、また恩師でもあり兄貴分でもある徳田安春先生(同理事)、同じく広報委員の青木眞先生、選考委員のJunji Machi先生、学術委員長で母校の先輩でもある永井良三先生、そしてJANAMEFの多くの先生方、事務局の皆様に心より御礼申し上げます。自分とJANAMEFのつながりは、個人的にJANAMEFの講演会に視聴参加させていただいたり、私が現在勤務する獨協医科大学総合診療医学のメンバーを米国短期留学派遣する際にもご支援を賜わっていたりするなど、有難いご縁に恵まれています。そのため、このような寄稿の形で活動に貢献させていただける機会を頂けることは望外の喜びです。メールマガジンに名を連ねられる諸先生方に並ぶには浅学菲才の身ではございますが、留学に関心のある後輩に向けての言葉として、実体験をもとに何かできることはないかと考え、以下の記事を書かせていただきます。

臨床留学のすすめ

JANAMEFは米国をはじめとする北米を中心に、欧州、アジア圏において医療・看護その他の医療従事者のための国際交流を支援するというミッションのもとに運営されています。現地留学などのリアルな国際交流にはバーチャルでは得られない価値があり、世の中が部分的なシンギュラリティを迎えた2023年でもその重要性は変わらないと思います。なぜなら、Face to Faceの臨場感のある会話や、その場の会話の雰囲気、五感でつかみ取る状況やその場に居合わせるからこそ起こる偶然の出会いやイベントなどの生きた交流は、お互いの鮮やかな記憶となり、これは不確実性が相対的に少ないバーチャルでは得られない重要な次の展開へのきっかけを作ることがあるからです。学会でも同窓会でも、COVID下でバーチャルから現地に戻った時に少なからずそのインパクトを実感された方も多くいらっしゃるのではないかと思います。国内の慣れ親しんだ生活圏内から外れた海外では、その刺激はより大きくなるのではないかと想像します。

後輩たちに何を望むか

現在自分は全国の若手医師や学生と関わる機会が多いです。その中に海外でのキャリアを視野に入れている一定数の若者らに出会います。彼らの希望に燃える眼の光を見ると、かつてそうだった自分の仲間のような気がして胸が熱くなります。そのような人々を自分は応援したくなります。海外に身を置いてチャレンジするのは、自身が確立してきたアイデンティティをフラットな視点に晒し、メタ認知のもとに個を多面的に鍛える良い機会と思います。彼らはきっと頑張るので、それだけに壁にぶつかることも多いでしょう。しかし、折られても立ち上がり、どのような形でもぜひ実現させていただきたいと思います。どのような逆風でも視野と行動力を磨きつつ、リーダーシップと協調性を発揮するバランス感覚も養いながら、頑張ってほしいと願います。特に後者の有無は後でキャリアに響いてきますので、重要と思います。

留学をするにしてもしないにしても大事なこと

自分が思うこととして、最初にアメリカの医療に憧れた約20年前に比べて今が違うことは、結局どこにいても、日々自分が何を目指して何を貫きたいのかが最も大事で、もしその時にそこにしかるべき環境が必須であれば必然的にそうなるし、またはそう信じたならばその環境を積極的に獲得しに行けばよいということだと思います。留学に行けた、行けない、行きたいけれどなかなかできない、など様々な状況が各自あるかもしれません。しかし、自分がやりたいことは何か、やるべきことは何かに集中すれば、その先に留学が必然なのか、そうではないかということがわかると思います。それでもわからない未分化の状態であっても、もし憧れが勝るのなら全力でやればよいと思います。その原始的なパッションには間違いがないと思います。それでも躊躇するならば、覚悟が足りないということと思いますし、かといってそれで諦めるのも別に悪いことでも敗北でもないと思います。いずれにしても結果は成功か不成功でしょう。でも、諦めなければ不成功ではないし、諦めたとしても勇気をもって次に進んだなら、大局からみればそれは成功だと言えます。プロセスが大事です。だから、自分なりに人生を頑張れば時に辛いこともあると思いますが、自分を信じて、笑顔で堂々と進めば、それでよいと思います。

回顧録:実際に米国に行って何が良かったか

字数にも余裕がありますので、せっかくなので、海外と自分という視点から自分のことについて書かせていただこうと思います。個人的に北米には様々な経緯も入れると合計4年半滞在しました。米国での経験はとても良かったと思います。臨床面では、文化の違い、ベースレートの違い、疾患の表現型の違い、医療システムの違いなどで、自分がぶれなければ診断の質は大きく変わりませんが、マネジメントが大きく変わることを学び、勉強になりました。そのほか、米国ならではの人生の考え方、人種差別をどう考えるか、など医療以外のことも多くを学びました。これらは日本では得られなかった貴重な経験だと思います。そんなわけで米国は好きな国です。とくに、その合理性、明解性、包括性だけでなく、分断や不均衡、不条理を自覚的に内在させながらも総体として他の追随を許さず強烈なパワーで突き進む、他国にはない北米の魅力には、パートナー達のいる国としての心強さを感じます。

渡米前後のこと

臨床で米国に行く前後では、自分のミッションは漠然としたものでした。そのため、米国のマッチングに提出するpersonal statement(志望動機書)には感染症や集中治療をやりたいということ以外には目立った特徴を書くことができませんでした。それが渡米直前の卒後9年目に、実践的な診断の考え方を体系化して臨床実践、研究、教育に役立てることに自分の最大の関心があることに気づきました。これを診断戦略学(Diagnostic Strategy)という分野として名づけました。こうして、自分なりにやりたいこと、やるべきことが決まったので、そこからは自分のキャリアをどう組み立てるかの方針が定まりました。

そして今

現在自分が住み仕事をしている場所は日本で、実際に本拠地の大学病院は勿論、所属学会や関与する様々な組織での日本ローカルの仕事も多いのですが、反面、拠点が米国にあったときとあまり変わらない感覚で仕事をしています。本質的には世界のレベルでどう勝負していくか、世界をどうリードしていくかという視点で考えることが、回りまわって国内の活性化にも繋がるという認識でいます。これは、自分の診断戦略学でも、自分の領域でもある日本の総合診療の普及でも、初期臨床研修制度の質の向上でも、同じと思います。たとえば自分の専門領域である診断戦略学は、診断の質という大きな学術カテゴリーの中のエンジン部分に位置しています。国際面では、現在診断の質を扱う学術組織としてはSociety to Improve Diagnosis in Medicineが自分のホームでもあり、医療の質を扱うECRI Instituteとの繋がりもできつつあり、この辺りのチームとの連携は、今後の世界での仕事の中で自分にとっては重要で、必要な点と点が導かれたように繋がってきています。これも、渡米前後にずっと考え続けた、やりたいことは何か、やるべきことは何か、の反復の結果と感じます。

終わりに

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。臨床留学・国際交流の経験は一人一人多様です。留学した人々の話は参考になりますが、あなたにはあなたの道があるはずです。結局自分が何をしたいか、その過程で留学がなぜ必要か、何を留学で得たいかという自分なりのミッションを未分化な状態でも立てて進むことが、留学を有意義に活かすことだと思います。行く前、行った先々では充実したことばかりでなく、心をくじこうとする逆境にも出会うと思います。しかし、信念に従って誠実に真摯に進んだ結果であれば、全てにおいて意味があり、また最善のプロセスとなるはずです。だから恐れず、勇気をもって、そして楽しみながら進んでください。必ずうまく行きます。応援していますね。

 


執筆:志水太郎
獨協医科大学総合診療医学